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2017.6.2

今日は歯医者のため、手稲に来ていた。

 

歯列矯正の調整をしてきた。

相変わらず痛い。

早く好きなものに思い切り

かぶりつけるようになりたいなあ

 

 

 

用も済み、札幌に行こうと手稲駅に向かうと

なにやら蛍光色の腕章をつけた人が数人いる。

 

宗教か何かかな?と最初は思った。

ところが、近づいて腕章の文字を確認すると

そこに書いてあるのは手稲のとある高校の名前。

どうやら学校の先生のようだ。

 

10人以上いる。

駅までわざわざ、何かあったのだろうか。

 

歩きながら遠目から見ていると

近くのバスターミナルに停まったバスから

その高校の生徒たちがぞろぞろと降りて来た。

 

すると腕章をつけた教師陣が

生徒に向かってずんずん歩いていく。

 

そして教師に声をかけられた生徒が

次々に引き止められていった。

 

これは、もしや生徒指導か..?

 

それにしては異様な光景だった。

 

その高校で何があったのかは知らないが

わざわざ駅前で待ち伏せて生徒を捕まえていくその様は

まるで警察と犯罪者のようで、

どうにも違和感を感じずにはいられなかった。

 

無視して歩き続ける女生徒、

それを走って追いかけて腕を引っ張って止める教師。

 

彼らがどんな悪いことをしたというのか。

誰に迷惑をかけたのだろうか。

 

公然の場で平気で怒鳴りつけているのを

僕は呆然と見ていた。

 

 

 

なんか、嫌なもの見たなあって思ったよ。

 

おかしくないかなあ。

 

 

 

ルール、というものについて考えることがある。

 

もちろん法律や校則はあるべきだとは思うよ。

難しいことはわからないけど、

ルールがないと確かに色々崩壊する。

 

でもさ、例えば信号があるとしてさ、

時間帯は深夜で、場所は見晴らしのいい田舎通りで、

その信号を律儀に守る必要はないじゃない。

安全は自分自身で確認することができるんだもの。

 

どうにも僕たちはルールに縛られがちだ。

特に日本人はその傾向が強いのもよく言われる話。

 

信号を守らなければいけないのは

「信号を守らなければいけないルールがあるから」

ではなく

あくまで「命を守るため」だ。

 

勘違いしてはいけないのは

ルールは自分を守ってはくれないということ。

信号が青でも運転手が居眠りしてれば

車は突っ込んでくる。

自分を守れるのは自分しかいないのだ。

 

ルールを守ることも大事だよ。

ただそこに自分の意思をきちんと持ちたい。

自分の目で、頭で、判断することの方が

ずっと重要なんじゃないかと思う。

 

物事の本質を捉える、じゃないけど

そのルールが存在する意味を

きちんと考えて行動できる人でありたい。

いつか子どもができたとき、

それをしっかり教えられる大人になりたい。

 

 

 

だから今日見たような、

大人がルールで子どもを縛りつけている現実が

少し悲しいなと思ったんだ。

 

もっと自由に、のびのび、生きていたいよ。

 

 

 

そんな高校の 明日 に 風 は吹くのかい。

果たして。