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2017.4.21

北海道博物館のラウンジで

缶コーヒー片手に黄昏モードである。

 

周りには誰もいない。自分一人だ。

すごい静か。

晴れた空に伸びた百年記念塔がすぐ近くに見える。

いつも遠くから見えてはいたけど

近くで見ると結構高い。

 

博物館に来たものの特に面白いものはなかった。

有料の特別展では、「北海道と野球の歴史」

みたいなものが見られるようだが

残念ながらそのテーマにはさほど興味がわかない。

 

本でも持ってくればよかったな。失敗した。

 

 

 

 

 

今年に入ってからこうしてブログを続けてきたわけだが

文を書く、ということに対して

少しずつ楽しさを見出せるようになってきたように思う

 

どうしたら面白い文になるのか

試行錯誤しながら言葉を選び、文章を考えるのは楽しい

最近は芸能人のエッセイを読むのにもはまっている。

 

しかし文章を書くことは簡単なようでなかなか難しい。

 

以前にも紹介した、星野源のエッセイ

「いのちの車窓から」を読んで、

なるほど、と思った一節があった

 

 

文章力を自分の欲望の発散

のために使うのではなく、

エゴやナルシシズムを削ぎ落とす

ために使っている人。

それが僕の思う「文章の上手い人」です。

 

 

 

人間には伝達欲があり、

「これを伝えることによって、こう思われたい」

という感情が働くもので、その感情の中には

エゴやナルシシズムなどの不純物が付きまとう。

 

お洒落な雰囲気を醸し出したかったり、

なんかポエムっぽくしたくなったり、

嘘のエピソード書いたりちょっと話盛ったり。

特に若い頃はそういうことをしてしまいがちなのは

なんとなく理解してもらえるだろう

 

それをいかに削ぎ落としてありのままに表現できるか。

これがとても難しくて、そして面白いところだと思う。

 

文章、というか言葉選びにはすごく人間性が出る。

自分らしく、自分らしさを伝えようとすることによって

改めて見えてくる自分らしさがあるなあと

最近感じている。なんか変な日本語だけど。

 

だからできるだけ文章を書くのは続けたい。

仕事が始まるとどうなるか

まだわからないところではあるけれど、

たまにでも、こうして自分と向き合う時間を作りたい。

 

 

 

文章を書くことに限らず、

“そのまま” でいることというのはやっぱり難しい。

でも、とても素敵なことだと思う。

 

嫌いな自分を認め、ありのままの自分を受け入れる

その上で好きな自分を見つける。

 

最近の自分は結構好きだ。

 

今年で25になる。

まだまだ若いが、それでも今後の人生はきっと一瞬だ。

いつ終わるかわからない人生を

自分のことを好きな状態で終えたい。

そんなことを今日は思った。